わずか10歳の時、村の真ん中にあった「かぢや儀兵衛」で和菓子作りを目にしたことが、すべての始まりでした。
- 1959年(10歳) - 菓子作りの道を志す
- 1974年~1976年 - 神戸での過酷な修行時代(睡眠時間わずか2時間、朝5時半~深夜3時まで)
- 1976年 - ベルギーチョコレート学校 日本人第一期生として留学
- 1982年2月6日 - 神奈川県平塚市にて洋菓子店開業
- 1986年 - 「生チョコ」を開発・命名、この世に新しいジャンルを創造
- 2023年12月16日 - 故郷・飯山市に帰郷、「文蔵」として再出発 一◆修行時代の試練◆一 神戸でのチョコレート修行は想像を絶する厳しさでした。
朝5時半から夜11時まで通常のお菓子づくり。夜11時から深夜3時まではチョコレート専門の技術習得をする日々でした。睡眠時間は2時間半という過酷な修行だったが、それでも「チョコレートのすべてを覚えたい」 という強い意志で2年間を乗り越えてきました。
一◆「生チョコ」誕生秘話 〜ゼロから生まれた革命〜◆一 1986年、創業から4年目のこと。この世の中に「生チョコ」という言葉は存在しませんでした。全国に早く「生チョコ」というネーミングを広げたいという思いもあり 洋菓子仲間にレシピを公開し全国に広めてもらうことができました。
小林シェフが開発に関わり「生チョコ」と命名し、後に日本全国に広がる新しいお菓子のジャンルとなったのです。
- 独自開発により「生チョコ」を完成させる。
- 全国の洋菓子仲間にレシピを広める
- 洋菓子協会の講習会で全国へ展開
- 平成元年から約10年間、チョコレートブームの火付け役となる 一◆ 震災支援として「生チョコ」を無償提供◆一 1995年の阪神淡路大震災。
小林シェフは被災地のボランティアの方々に生チョコ500箱(10ケース)を無償で送りました。すると、ボランティアの皆様から2000通を超える感謝の手紙が届きました。郵便配達員の方が驚くほどの量で、一通一通すべてにお返事をさせていただきました。
一◆小林シェフの考える今後◆一 「お客様の一番近いところにいるお店でありたい。どんなわがままでも聞いてあげられるような、そんなお店を目指しています。」 小林シェフが故郷・飯山に帰郷した理由の一つは、若い人たちの雇用創出でした。
「成人するとみんな飯山市から出て行ってしまう」という地域の課題に対し、「私たちで働くところを作ろう」という強い想いから、文蔵を立ち上げました。現在も市内の学校で講演を行い、50年間菓子作り一筋に歩んできた経験を若い世代に伝えています。
一つの目標を持ち続ける大切さ、夢を追い続ける意味を語りかけています。現在でも、平塚でお店を構えていたときに来店してくれた方が、わざわざ足を運んで会いに来てくれるお客様もいます。お店をやっているから来れる。ここが社交場となり買い物に来る人もいれば、生チョコソフトを食べながらゆっくりしたい人 もいる。
一 それが嬉しいんです 一
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記載内容以外の食材や薬味、容器等は含まれません。「奥信濃Bunzo」のスイーツはこんなシーンで活躍しています。
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